真田釣大変記

私とアジングの歴史その②​

私がアジングにハマった理由​

シーバス釣りへ変更

2019年11月。私はボウズを繰り返した反動から、アジングほとんどしなくなった。次に挑戦したのはシーバス釣りだ。理由は宮崎で多くの釣果情報があったからである。レッドヘッドのミノーなど、何となく巻いておけば釣れるだろうという安易な考えで何となく釣りに行き、汽水域ではチヌやシーバスを何度か釣りあげるも、そこでもまだ釣りにはハマらずにいた。理由は、海のそれと比べると味が好みではなかったからだ。その時、おいしく食べるという事が私の釣りのモチベーションに大きく関わっていることに気付いた。それからは、CATCH&EATが自分が望んでいるものであるという想いを固め、海に絞り、宮崎の様々な釣り場に足を運ぶことになる。

ホームとの出会いそして痛恨のバラシ

大した釣果も明確な目的もなく彷徨っていた2019年の年末。釣果とは裏腹にどんどん増えていくルアーや道具。釣れないことを道具のせいにし、意味も理解せず、タングステンの鉄板バイブにも手を出し、釣り具に使うお金はどんどん増えていくのであった。心が折れ掛けながら、「ここまでお金を使ったからにはそう簡単には諦められない!」と、様々な場所へ行き、そして私は今のホームとなっている場所に初めて足を運ぶことになる。雑誌に書いてあった通りに、鉄板バイブをリフト&フォールをひたすら続けていると、突然目の前でナブラが起きた。ナブラに向かってキャストし、暫く巻いていると今までに経験したことの無い、強烈な引きが私を襲う。走るラインにドラグの調整もわからない私はとにかく悪戦苦闘し、最終的にバラシてしまう。横にいたアングラーさんは次々と魚を上げ、覗くと、60㎝程のサゴシがクーラー一杯に入っていた。この瞬間から私は釣りにハマったと今振り返れば思う。大物の感触や、バラした悔しさもあるが、何より、釣れることが分かったことが一番だと思う。釣りに行く事は続けていたが、恐らく釣れると本当に釣れると思ってはいなかったのだと思う。「この場所で確実に大物が釣れる。あとはどう釣るか」という思考になれた事で、初めて真剣に考えて釣りをするスタートラインに立てたのだ。釣るために考えること、釣るために用意された道具の意味を知ること、その先にある結果というこの一連の全てがとても楽しく、目的を持ったキャスト、釣行へと変わっていくのであった。

観察と私のアジングスタイル

ホームを見つけた私。とにかく時間の許す限りホームとなる場所に足を運ぶ。反応があったもの、なかったものを整理し、その理由を探し、次に繋げる事をひたすら繰り返す。人見知りであまり声は掛けれないが、常連様を観察する。いつしか、メインがジギングなっていた。当初、美しいミノーなどに比べると、「こんな鉄の塊に本当に魚が喰って来るのか?」と半信半疑であったが、試しに投げたその日にカマスが爆釣したことがきっかけだった。そして、10~20gのジグを中心に投げ続けたある日、33cmのアジが釣れた。あんなに追っていたアジが、夢にまで見た尺アジが意図せず連れてしまった。

私は複雑だった。なぜなら、宮崎でアジは釣れないと判断し、遠ざかっていたにも関わらず、そしてプロが実績のある地域に行って、さらに運が良いとまれに釣れると思っていた尺アジが宮崎で釣れるのだ。アジングへの想いが再燃した瞬間であった。時間を無駄にした気もした。2020年8月の出来事だった。アジングを始めてから約1年が経過していた。

そこから私はホームにアジがいるという前提で更に通った。釣れる時間・時期・方法を模索するようになり、結果が出るまでそこから1年は費やした。今では年間を通して多くのアジを釣れるようになり、その過程で自分が釣れなかった理由や複数のスタイルがあることを知った。釣る場所や自分に合ったスタイルを見つけることがアジングにとって何より重要なことだった。テレビでよくある、夜の常夜灯でのアミパターンが全てではないというのが今となれば当たり前なのだが、それを気付くまでは固定概念でアジングの可能性を潰していたのだと痛感する。次回はホームでどのように自分のスタイルを固めていったのかを書こうと思う。注意していただきたいのは、アジング初心者のたわごとだという事だ。温かい目で見てほしい。<次回へ続く>

最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。あなたも幸せな釣りライフが送れますように。

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